第511話

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• あの高嶺の花が帰ったとき、私が妊娠した　   第777話

  玄関先で、全員が無言のまま数分間、膠着状態が続いた。友作は、弥生が再び暴れ出すのではと警戒していた。というのも、これ以上無理に押さえつけようとすれば、怪我をするのは自分の方だからだ。彼らは抑えることはできても、傷つけることは許されていなかった。幸いなことに、弥生は理性を失って暴れるようなタイプではなかった。もし彼女が本気で掴みかかってきたり叩いてきたりしたら、自分たちはそれこそ無傷では済まなかっただろう。健司は弥生を見つめ、どうにもできない表情で語りかけた。「霧島さん、黒田さんについていくことは、決して悪いことじゃありませんよ。よくご存知のはずです。この5年間、黒田さんの心の中にはずっとあなたしかいなかった。他の誰かに心を動かすこと、一度もなかった。彼は一生、あなたに尽くしますよ」弥生は冷たく言い返した。「だからって、それが理由で私が彼を選ばなきゃいけないわけ？私には自由がないの？」健司はため息をつくように、淡々と続けた。「......今は一度冷静に考えてみてください。僕は黒田さんの性格をよく知っています。彼が一度決めたことは、簡単には変えません。これ以上もめても、彼を刺激するだけですよ」そう言うと、健司はそっと両隣に立っている無表情の男たちに視線を送り、それから弥生に近づき、声を潜めてささやいた。「今は、従っておいたほうがいいです」その言葉に、弥生は唇を噛み、じっと健司を見上げた。彼は静かにうなずいた。確かに、さっきの彼女は少し感情的になりすぎていた。だからこそ、弘次はあのまま、ひなのを抱えて去っていったのだ。あの時の彼の表情は、今まで見たことのないものだった。健司の言葉通り、まるで“刺激”を受けたように見えた。「ママ」その時、小さな手が弥生の指先をぎゅっと握った。見下ろすと、陽平が心配そうに彼女を見上げていた。「......陽平」弥生は彼を抱き上げ、再び部屋の中へ戻った。健司はそれを見届けると、すぐさまドアを閉めた。部屋に戻ると、ようやく落ち着いた静寂の中で、陽平が不安げに尋ねた。「ママ、おじさんとケンカしたの？」弥生は首を横に振った。「ケンカじゃないの。ちょっと複雑なのよ......おじさん、今とても危ないことをしようとしてるの。私たちは、それを

• あの高嶺の花が帰ったとき、私が妊娠した　   第776話

  弘次はその場に立ち尽くしていた。弥生がついに、この件を正面から向き合って話し合おうとしているのを、彼も感じ取っていた。唇をわずかに引き結びながら、彼女を見つめるその目には、深い諦めと困惑がにじんでいた。「......もし、送り返さなかったら？」弥生は皮肉っぽく口元を歪めた。「そうしたら、私たちはもう友達でも何でもないわ。それに......君は、子供たちを失望させることになる」陽平は賢く、弥生の話をじっと聞くだけで、余計なことは尋ねなかった。だが、ひなのは活発で好奇心旺盛だった。弥生の言葉に、すぐに不安そうな顔を見せた。「おじさん、ママとケンカしたの？ケンカしないでよ。こわいよ......」そのふわふわした声はまるで綿菓子のようで、弘次の胸の奥にじわりと沁み込んでいった。彼の中にある張りつめた何かが、少しだけ緩んだ。「ひなのを降ろして。私のそばに返して」そのとき、弥生が突然、はっきりと要求した。弘次の手はまだひなのの背中に添えられていた。彼は冷静に言った。「弥生......そんなに、対立しなきゃいけないのか？」弥生は即座に返した。「対立しようとしたのは、君だよ」彼女が歩み寄ってひなのを奪おうとすると、弘次は一歩後ろに下がった。「悪いけど、今の君は情緒が不安定に見える。だからひなのは渡せない」「......は？」感情が不安定？不安定なのは彼のほうでは？弥生ははっきりとした口調で言った。「ひなのは、私の娘よ。分かってる？」「ママ......」状況は理解できなくとも、子供は何かを察した。ひなのは焦ったように、弥生の方へ戻ろうとした。小さな体で、弘次の腕の中でじたばたと動き始めた。「ひなの、動かないで」弘次は彼女をしっかり抱きかかえたまま、さらに後退した。「さっきアイスが食べたいって言っただろう？おじさんが買ってあげるよ。ママとお兄ちゃんの分も買おう。そしたらママも機嫌が直るはずだ。どう？」弥生は彼が後ろに下がるのを見て、思わず前へ出た。「弘次！ひなのを返して！」その声に重なるように、ひなのの泣き声が響いた。恐怖と混乱が混ざった子供特有の泣き声......弘次は無表情のまま、泣きじゃくるひなのを抱えてホテルの外へと出ていった。弥生が後

• あの高嶺の花が帰ったとき、私が妊娠した　   第775話

  弥生は二人の子どもを部屋に連れ戻すと、すぐにドアに鍵をかけた。彼女には、もうここに長く留まることはできないだろうという予感があった。さっきの友作の行動を見れば、SIMカードの件はすでにばれているはずだ。ただ、まだお互いにそれを口に出していないだけだ。そしてあれこれあった騒ぎの中で、二人の子どももすでに目を覚ましていた。目をこすりながら、弥生を見上げて問いかけた。「ママ、さっき何か話してたの？」弥生は彼らの頭をそっと撫でて、微笑んだ。「起きたの？お腹すいてない？あとでおじさんが来たら、お願いしてアイスクリームを買ってきてもらおうか？」アイスの話に、二人の子どもたちの目が輝いた。元々は意識していなかったが、弥生のひとことに、子どもたちの食欲が一気に刺激された。「うん！」その直後、ドアの外からノックの音が聞こえた。「弥生」弘次の声がドア越しに響き、次の瞬間、彼はドアノブを回して中に入ってきた。「おじさん！」食べ物を期待していたひなのは、弘次を見るなりぱっと腕を広げて抱っこをせがんだ。弘次は歩み寄り、彼女を抱き上げた。「おじさん、アイス食べたい」腕に収まったとたん、ひなのは甘えるようにそう言った。「アイス？今？」ひなのはふにゃっとした声でうなずいた。「うん、ひなの、おなかぺこぺこ」「じゃあ、一緒に買いに行こうか。新しい場所に移動する途中で、おじさんが買ってあげるよ。どう？」その言葉に、弥生の表情が一気に冷え込んだ。そうきたか。もしひなのが「うん」と答えれば......しかし、このとき、不思議と呼応するように、陽平がすっと立ち上がり、弘次のズボンのすそを軽く引っ張った。「おじさん、おうちで食べちゃダメ？その言葉に、弥生は少し驚いた。自分は何も言っていないのに......これは偶然？それとも......弘次も、ふと弥生の顔を見た。そして少し考えたあと、笑顔で言った。「うん、じゃあおじさんがひなのを連れて買いに行こうか。ひなのは今すぐ食べたいんでしょ？」ひなのはすぐに大きくうなずいた。「うん、行く！」彼女は弘次を見た。やっぱり。これが彼のやり方だ。穏やかな顔をしながら、気づかれないように人を追い込むのだ。万一この間に誰かが自分を探して

• あの高嶺の花が帰ったとき、私が妊娠した　   第774話

  弥生がドアを開けたときに立てた音に反応して、二人の男がちょうど振り返り、視線がぶつかった。その瞬間、弥生の心は崩れそうになった。思わず駆け寄り、鋭く問い詰めた。「私の子供に何をしようとしてるの！？」友作も、まさかこのタイミングで弥生に見られるとは思っていなかった。彼女が目を覚まさないまま約2時間が経過していたので、そろそろ行動してもいいと踏んでいたのだ。だからこそ考えた策だった。彼女がまだ眠っているうちに、子供たちを先に連れ出すことをしようとした。そうすれば、目が覚めた弥生も、子供たちのために黙って従うしかなくなる。まさか、今このタイミングで起きてくるとは......「霧島さん、これは誤解です......少しだけ説明を聞いていただけませんか？」「誤解？子供をこっそり連れ去ろうとしてたのに、どこに誤解の余地があるっていうの！？」そう言いながら、弥生はすぐに駆け寄り、ひなのを奪い返した。そしてもう陽平の方へ向き直った。「その子も返して！早く、ベッドに戻して！」男は一瞬、友作の方を見た。友作がうなずいたのを見て、ようやく陽平をそっとベッドに戻した。弥生は子供を抱いたまま部屋の中へ下がり、ドアの前まで彼らを押し戻した。友作は彼女を見て、やや丁重に腰をかがめた。「霧島さん、目が覚めたなら......そろそろ出発しましょうか」「出発？どこへ？」「ここはあくまで仮の滞在場所です。これから、長期で滞在する場所へ向かいます」それを聞いて、弥生は皮肉げに口元を引きつらせた。「君は弘次じゃない。彼は自分が何をしているか分かっていない。でも君まで分からないとは思わなかった。連帯責任って、知っているよね？」その言葉の意味を、友作が理解しないわけがなかった。彼は苦笑し、やや諦めたような声で言った。「......霧島さん。僕は黒田さんに仕えてきた以上、彼の決定に従うしかないんです。これまでずっと一緒にやってきたので、今さら逃げる理由はありません」ああ、そうか。弥生はその瞬間、彼の考えが分かってしまった。いくら苦しくても、弘次のためにやってあげようという忠誠心があるか。「君、自分は彼のためを思ってやってるつもりなんでしょ？」弥生は目にうっすらと悔しさを浮かべながら言った。「でも本当に

• あの高嶺の花が帰ったとき、私が妊娠した　   第773話

  弥生は髪を乾かした後、ベッドに横になって休んだ。おそらく体内に残っていた薬のせいで、横になってすぐに眠ってしまったのだろう。意識が戻ったとき、彼女の耳には外からの微かな会話が聞こえてきた。「黒田さん、霧島さんはまだ起きていないのですか？」「......ああ」「ですが、車の準備は整っています。そろそろ出発しないと」弘次はしっかりと閉じられた部屋の扉を一瞥し、唇を引き結んだ。「彼女は疲れている。もう少し寝かせてやれ」「ですが黒田さん......」友作は少しためらいがちに口を開いた。だが、弘次の声は一気に冷たくなった。「もう少し寝かせろって言ったんだ。聞こえなかったのか？もう一度言わせるつもりか？」突然の怒声に、友作も予想外だったのか、慌てて口を閉ざし、うなずくしかなかった。「......わかりました」友作はそのまま外へ出て、待機している者たちに何かを伝え、それから再び外で待機することにした。本当は弘次に伝えたかったのだ。ここに長く留まりすぎると......しかも弥生はすでに誰かと連絡している。その相手は、彼らの管理下にない者、制御できない人だ。もし騒ぎがこれ以上大きくなれば、事態は手に負えなくなるかもしれない。彼は心では弘次の行動は正気の沙汰ではないと思っていた。だが、一度付き従うと決めた以上、今はただ命懸けでついていくしかない。まあ、あと30分くらいならいいか。もしかすると、霧島さんが自然に目を覚ますかもしれないし。一方、弥生はその会話を耳にして、思わず心臓が跳ねた。聞けてよかった。もし聞いていなければ、起きたときにすぐ連れて行かれていたかもしれない。そう思った彼女は、再び目を閉じ、眠ったふりを続けた。......だが、次の瞬間、部屋のドアから音がした。弥生は眉をひそめた。弘次が入ってきた？やがて、微かな足音が近づき、彼女のベッドの前で止まった。弘次は、眠っている弥生をじっと見つめた。起きている時とは違い、寝顔の弥生は静かで美しい。特に目は美しい。あの瞳に心を奪われたのは、彼がまだ少年だった頃からのことだった。彼女が笑うと、目元がふんわりと下がり、まるで輝く満月のようだった。でも、今、その月はもう彼に笑いかけることはなかった。彼を見た

• あの高嶺の花が帰ったとき、私が妊娠した　   第772話

  弘次が去ってようやく、弥生はほっと息をついた。現在の状況について、弥生が考えた可能性は二つだった。一つは、弘次がまだSIMカードをすり替えられたことに気づいておらず、弥生が急に冷たくなったのは単なる「ワガママ」だと勘違いしていて、彼女から連絡が来るのをただ待っている。もう一つはすでに弘次はSIMカードの件に気づいているが、弥生が浴室にいる手前、無理にドアを開けるわけにもいかないという可能性がある。いくら彼が疑っていても、「風呂に入ってる」と言われた以上、無理にドアを開けることはできない。五年間追い続けてきた彼だが、今まで一度も一線を越えるようなことはなかった。そういうところでは、弘次はいつも弥生に対して紳士的だった。なのに、どうしてこんなふうになってしまったのだろう。本来なら、互いに尊重し合える関係だったはずなのに。そう思った瞬間、弥生は思わず顔をお湯に沈め、何も考えないように頭を空っぽにした。今日一日ずっと極度の緊張状態が続いていたが、ようやく由奈との連絡が取れたことで、ほんの少しだけ心が安らいだ。でも、これからが本当の戦いなのかもしれない。時間を稼ぐためとはいえ、弥生はずっとお風呂に浸かっていた。湯の温度が冷めてしまっても、それでも出なかった。外は静まりかえっていて、弘次がどこへ行ったのかも分からなかった。その時、ふとあることを思い出して、弥生の顔色が変わった。そういえば、子供たちもこの部屋にいるのだ。自分があれこれ行動している間も、二人の子供はまだ熟睡している。このことに思い至った弥生は、もうそれ以上は風呂に浸かっていられず、タオルで身体を拭き、浴室のドアを開けてドア前に置いてあった袋を取り込んだ。着替えている時、中に入っていた下着類を見て少しばかり気まずさを感じた。だが、恥ずかしがるところじゃないのよ......彼の行為は、実質的に弥生を軟禁しているようなものだった。この先何が起きるか、誰も予想つかない。以前の弘次なら、どんな時でも彼女の意志を尊重してくれた。でも、いまやそんな男が、こんなことを平然とやっている。つまり、これから先、どんなことでも起こりうるということだ。服を着終わった弥生がドアを開けると、すぐ近くに弘次が立っていた。音に気づいた彼は、すぐに彼女の前に歩